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日本の名城20選(11)・今治城

旅行

日本の名城20選(11)・今治城

今治城・愛媛県

城郭構造 輪郭式平城(海城)
天守構造 5重不詳諸説あり(非現存・慶長13年(1608年))
望楼型5重6階模擬(RC造・昭和55年(1980年)築)
築城主 藤堂高虎
築城年 慶長7年(1602年)
主な城主 藤堂氏、松平(久松)氏
廃城年 明治6年(1873年)
遺構 石垣、堀
指定文化財 愛媛県史跡

今治城の天守は、一次資料が不足しているため、築城当時に建造されたか否かが確定されていない。 藤堂家の家譜『宗国史』巻二には「城中に五層の高楼を建て、府下を五街に開き」と記述されているが、敷地内に天守の遺構が確認されていないためである。
天守は天守台と呼ばれる基壇を造り、その上に建てられることがほとんどであるため、天守台の遺構が発見されていない今治城の天守は存在が否定されていた。
また、今治城の天守は、藤堂高虎によって上野城に移築する目的で解体され、慶長15年(1610年)の亀山城(丹波国)天下普請の際に徳川家康へ献上され、亀山城へ移築されたとする説がある。
この説は『寛政重修諸家譜』の「慶長十五年丹波口亀山城普請のことうけたまわり、且今治の天守をたてまつりて、かの城にうつす」という記述が根拠となっている。
このため、存在したとしても慶長9年(1604年)に竣工し、慶長15年(1610年)ごろに亀山城に移されているので、最長でも約6年間ほどしか存在していなかったことになる。
いずれにしても、天守の存在を示す一級資料や遺構等の具体的な裏づけとなるものは確認されていないため、天守が建てられたかについて結論に至っていない。
しかしながら、本丸には江戸時代を通じて天守の代用とされた北隅櫓が設けられていた。北隅櫓には千鳥破風が一つだけ付けられ、天守を意識した外観となっていた。

今治城の再建天守は、当初の建築の実在について明確な資料が少ないため、史実に基づかない模擬天守である。
往時の天守は亀山城に移築されたと伝えられ、亀山城天守については明治初年に撮影された古写真や平面図が残されており、おおよその形状がわかっている。そのため、今治城天守の再建に際しては亀山城天守の外観を参考にしたとされている。

 しかし実際には亀山城天守が層塔型の構造で最上重の唐破風と入母屋破風のみであるのに対し、再建天守は望楼型の構造で大入母屋破風を基部としており、張り出しや出窓など亀山城にはない意匠が施されている。
 また、天守の位置も本丸の中央付近と推定されているが、本丸塁線上の二重櫓(北隅櫓)跡に建てられている。

 最上階からは、しまなみ海道の来島海峡大橋が見えるなど、瀬戸内海を眺望することができる。

(参考:日本100名城、日本の城、ウィキペディア)

今治城 空撮

城内巡り

名城の内部

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